普通の人には不可能なことも、自分なら可能と思っている
野心家は数えきれないほどのチャレンジと成功体験を繰り返し、けた違いの自信を手に入れます。その結果、普通の人なら尻込みしてしまうようなチャレンジにも挑戦するようになります。
圧倒的な自信を持っているので、どんな困難な目標でも「俺ならやり遂げられる」と考えます。また、目標のハードルの高さが向上心や競争心にも火をつけます。
野心家は、掲げた目標が困難であればあるほど燃え上がるのです。
たとえば、子供のころからプログラミングを勉強してきた若者が、大学を中退して起業することを決意したとしましょう。周囲の大人は無謀な計画だと考え、なんとか制止しようとします。
しかし、若者はすでに高度なプログラム技術を習得しています。高校時代にはスマホアプリを開発して、話題になりました。大学入学後はベンチャー企業からスカウトされたこともありました。
スカウトしてきた企業の経営者とも交流を深め、ビジネスセンスを磨くこともできています。頭の中には具体的な事業計画があり、成功させる自信も持っているのです。
普通の人なら、周囲からの反対の声にうろたえてしまうところです。しかし野心家の若者には、具体的な計画と自信があります。
起業を反対されるとかえって「じゃあやってやろう」と考えるのです。
一見すると無謀に思えるようなチャレンジにも、野心家は臆することなく挑みます。その結果、さらに大きな成功体験を獲得し、野心はますます広がっていくのです。
自己中心的に見られがち
野心家は、周囲から無謀と思われるようなチャレンジにも果敢に挑んでいきます。他人と違う人生を歩むことを恐れません。
ただ、他人に合わせることをしない野心家の行動は、周囲から自己中心的に見られてしまいます。常に空気を読んで行動する普通の人からすると、野心家の行動は理解できないことが多いのです。
たとえば、学校で唯一東大を目指している受験生について考えてみましょう。東大合格という野心を実現するには、友人たちと同じペースで勉強していては間に合いません。
友人たちは、気分転換と称して遊びに誘ってきます。しかし東大を目指す野心家は、誘いを無視して勉強に集中します。無視された友人たちは、当然いい気分にはなりません。
そこで、友人たちは当てつけに野心家の陰口を言い始めます。
「友達付き合いより自分の勉強を優先するなんて、自己中心的なやつだ」
「あんな自己中心的なやつはロクな人間にならない」
しかし、野心家はもともと自己評価が極めて高いので、周囲の人から陰口をたたかれても気にしません。成功のために重要でないことを捨てる勇気を持っているのです。
男性
野心を隠さない
野心家の男性は、野心を隠しません。野心をむき出しにしたほうが、激しい向上心や競争心を周囲から「男らしい」と評価されるからです。自尊心を刺激され、自己評価を高めることができます。
また、野心を堂々と公言することで、自分自身をあえて後戻りできない状況に追い込みます。男らしく目標を公表して、簡単には目標を撤回できない状況を自ら作るのです。
たとえば、ボクシングの世界チャンピオンに挑戦する選手が、試合前の会見で「必ずKOして勝ってみせる」と発言することがあります。挑戦者の発言は、世間からビッグマウスと批判されます。
ただバッシング受ける一方で、挑戦者に対して「なんて男らしいんだ」という賞賛も集まります。記者会見での発言が話題を呼び、試合への注目度も高まります。
すると、挑戦者のテンションも上がっていきます。世間の注目を集めていることで、自尊心を刺激されるからです。また「後に引けない」という思いから、一層集中して試合本番に臨むのです。
野心家の向上心・競争心といった行動原理は、男性の場合は社会からポジティブに評価されます。また社会からのポジティブな評価は、野心家の向上心・競争心をさらに刺激します。
つまり野心家の男性は、自らの野心を隠さず行動することで、より早く目標を実現できるようになるのです。
周りに叩かれやすい
野心家の男性は自らの野心をむき出しにするので、賞賛とともに批判も集めます。特に失敗してしまった場合には、それまで賞賛していた人さえ手のひらを反して批判する側に回ります。
もっとも、野心家の男性は周りに叩かれても気にしません。他人から無謀と思われる目標を掲げていることは、百も承知です。批判される覚悟ができているのです。
先ほど例に挙げたボクシングの挑戦者が、世界チャンピオンとの試合に負けてしまったとしましょう。挑戦者を応援していた人も「どうせ無理だったんだ」とバッシング側に回ります。
しかし、挑戦者の野心は逆に燃え上がります。持ち前の競争心から「必ずチャンピオンになって、批判している人たちを見返してやろう」という闘志が湧いてくるのです。
野心家の男性にとって、批判はむしろ競争心を刺激するエネルギーとなります。批判を恐れず男らしく突き進んでいくことで、野心を実現していきます。
女性
女性はあえて野心を語らないことが多い
女性の社会進出が進んだ現代の日本社会にも、残念ながら男性優位の部分が残っています。男尊女卑だった時代の感覚をまだ捨てられない人がいるからです。
たとえば、働く女性に対し「女のくせして」などと女性蔑視の発言をする人がいます。「女性の幸せは結婚することにある」という偏った思い込みから、働く女性を無自覚に傷つける人もいます。
男性優位の部分が抜け切っていない社会では、女性が野心を持つことには数多くの障害があります。女性が男性と同じ働き方をするだけでも、大変な苦労を伴うのです。
そのため女性の野心家は、人前で野心を公言しないようになります。野心を表に出すことで偏見を受けるよりも、胸に秘めた闘志を燃やしながら陰で努力することを選ぶのです。
たとえば、会社では地味な事務員として目立たなかった女性が、突然退職して起業をすることがあります。起業後は、事務員時代とは人が変わったように野心的な活躍を見せます。
起業してから性格が変わったようにも見えますが、実は起業後の野心的な姿こそ本来の性格なのです。事務員時代は野心を胸に秘めながら、陰でしたたかに起業の準備を進めていたのです。
男性を目の敵にしていることが多い
男性優位の社会では、女性が野心を持って仕事に打ち込むことには偏見があります。女性が野心を持つこと自体、良く思われない傾向があります。
そのため野心的な女性の目には、男性の存在自体が敵のように映ります。「男女の違いさえなければ、もっと出世していたに違いない」と考えるからです。
たとえば入社以来ずっと、同期の誰よりも仕事に打ち込んできた女性社員について考えてみましょう。努力の甲斐あって出世コースに乗り、順調に昇進を重ねていったとします。
しかし結婚適齢期に差し掛かると、女性の出世に障害が現れました。「結婚したら退職するのではないか」という目で周囲から見られ始めたのです。
同じ成果でも、男性社員に比べて評価されなくなってしまいます。すると、男性社員の存在が邪魔に思えてきます。男性全体が敵に見えてきます。
こうして野心家の女性は、男性のことを敵視するようになります。男性へのライバル意識を仕事のエネルギーにできれば良いのですが、被害者意識が強くなりすぎないように注意が必要です。
野心家の恋愛・結婚観とは?
目標達成の邪魔になる恋愛・結婚はしない
野心家は目標達成に人生のすべてをささげます。恋愛や結婚についても例外ではありません。野心家にとっての恋愛・結婚とは、あくまでも野心を実現するためのプロセスなのです。
自らの社会的地位を向上させる手段として、恋愛・結婚を利用する場合もあるでしょう。野心を追求するエネルギーを充てんするための癒しを、恋愛・結婚に求める場合もあるでしょう。
いずれの場合も、野心家が恋愛・結婚を「野心の実現に役立つもの」として考えていることには変わりありません。野心を実現する邪魔になるような恋愛・結婚には、決して踏み切らないのです。
たとえば、会社で出世街道を昇りつめようという野心に燃える男性に、学生時代から交際している彼女がいるとしましょう。彼女からすると、彼氏が会社に入ってから変わったように見えています。
学生時代の彼氏は、何かと時間を作って会ってくれていました。しかし今は、仕事で忙しいからと滅多に会ってくれなくなってしまいました。
寂しさを我慢できなくなった彼女は、思わず次のような言葉を彼氏に放ってしまいます。
「私と仕事、どっちが大事なの?」
すると、彼氏の心は一気に離れてしまいました。会社に入って野心家となった彼氏は、もはや仕事のために生きています。出世という野心を邪魔する存在は、すべて敵なのです。
野心家にとって価値があるのは、野心の実現に役立たつものだけです。たとえ恋愛や結婚であっても、目標達成に役立たないなら全くの無価値なのです。